“好き”について考える

はじめまして。皆さんお元気ですか。
私はなんとか健康に生きています。

早いもんで、本当に色々あった2020年がもうすぐ終わりますね。(気が早い)
ジャニーさんが待ちわびていたトニトニが呆気なく終わってしまうのは、なんだか寂しいです。



さて、お前急にブログなんて書き始めてどうした?と思った方がいるかもしれません。
なぜ突然こんなものを書き始めたのかというとそれは、突然「ブログ書きたいな」と思ったからです。
よくある答えになってないウザイヤツですね、はい。
強いて言えば、“日が経つにつれて薄れていってしまっている記憶を文字として残したい”と思ったからです。



ここからは更につまらない語りが続きます。もう飽きたという方、ここまで読んでくださってありがとうございました。また機会があれば読んでくださると嬉しいです。まだ飽きてないよと言う方、鬼長いですがよろしければ最後までお付き合いください。




さて、本題です。

このブログの題「“好き”について考える」

“好き”には色々あると思います。

  • 家族に対しての“好き”
  • 友達に対しての“好き”
  • パートナーに対しての“好き”
  • 食べ物に対しての“好き”

この他にもたくさんたくさんそれぞれの“好き”があることでしょう。




そして私がここから考えるのは

【アイドルに対しての“好き”】です。




対象を絞ったとは言っても、“好き”というのは本当に人それぞれです。

「顔が好き」「性格が好き」「歌声が好き」「ダンスが好き」「キャラクターが好き」はたまた「こんなところが嫌いだけどそういう所も含めて好き」みたいな。
本当にたくさんあると思います。


私も、自担に対しては数え切れないほどたくさんの“好き”があります。




というのは前置きで(長い)、どの“好き”が正解でこれは間違いで…という話をしたい訳ではなく、というより“好き”には正解も不正解も無いですしね。






私がしたいのは、
【アイドルへの“好き”は条件付きである】
というお話です。


※ここからは自分語りのようなものが続きます
※そしてこれは全て私の個人的な意見です






私は、Hey! Say! JUMPの有岡大貴くんが大好きでした。


「顔」「歌声」「ダンス」「演技」「ぱっと輝く笑顔」「キレイで澄んだ瞳」「共演者から、大ちゃん大ちゃんと呼ばれる愛され力」「バラエティー番組で頑張って必死に喋る姿」「サイズ感」「四捨五入すればポメラニアン



今少し考えただけでもこれだけ出てきます。
 

しかし、その“好き”を持ち続けるのは、とても難しいことなのです。






有岡くんを好きになった当時、私は中学生でした。ジャニーズの知識も無ければスマホも持っていない。知識を得られる媒体はテレビ、兄の持つWiiUくらいのものでした。


最初は、自分が好きなだけでいい。テレビで活躍を見れれば嬉しい。音楽を聴けば自然と笑顔になれる。そういうものでした。

兄に許可を得てWiiUを借り、週一くらいのペースで有岡くんのお仕事情報を調べる。新しい有岡くんを見れる日を楽しみにすれば、どんな事でも頑張れた。


ただただ一方的に“独りで”見るだけで満足だったのです。誰にも理解されなくていい、共感されなくていい、そう思っていました。
しかし、次第にそうすることが辛くなってきてしまったのです。





ある日、クラスの人何人か(友達ではない程度の人)とアイドルの話になった事がありました。私が有岡くんのファンになって2年くらい経った時です。
「好きなアイドルとかいるの?」と聞かれ、これはいい機会だと思い、私は思い切って「Hey! Say! JUMPの有岡くんが好き」と答えました。今思えばなぜ気心知れない人間に話したのだろうと後悔案件ですが、あの時はむしろ知らない人だから良いや、と思っていたと思います。すると、「えー、有岡??どこがいいのか分からんわー」と吐き捨てられたのです。


自分の“好き”を否定されるのがこんなにも悔しくて苦しくて辛いものだとは思いませんでした。理解されなくていい、共感されなくていい、そう思っていたはずなのに。この時から、私は自分の気持ちを「絶対に誰にも話さない」と決めました。




つまり、自分の中の“好き”を自分の中で完結させようとしたのです。次第に自然と押し殺すようになるとも知らず。



以下も自分の気持ちが破綻してしまった原因だと考えています。




1.他人と繋がるツールを持っていなかったこと

私はスマホを持っていなかった、つまり、SNSを一切することが出来なかった。共通の趣味の子(同じ“好き”を持つ子)を見つけることも、自分の中の“好き”を発散(発信)させることも出来なかった。


自分の中で自分の気持ちをひたすら抑えながら育てるしかなかったのです。



2.アイドルが好きであることは隠すべき事だと思っていたこと

当時、私の身の回りにはアイドルに興味がある人が誰一人としていませんでした。むしろ、どちらかというと「ジャニーズ?(笑)」みたいにバカにする人の方が圧倒的に多かったのです。何も知らない癖に。



だから、家族にさえ「有岡くんが好き」と言えなかったし、好きであることを隠さなければいけないと思っていました。
隠れてテレビを見たりCDを買ったり雑誌を買ったり、、、嘘をついているようでだんだんしんどくなってしまっていました。



今となっては、自分の“好き”が否定されたらどうしよう、と自分からバリアを張ってただけなんだ、と分かるんですけどね。








主にこういった事から、私は「有岡くんが好き」という気持ちを自分の中で抑え込んで抑え込んで、大事に育てていたつもりが、無意識のうちに少しずつ自ら押し殺していたんだと思います。


もしこの時、なんでも話せる友達がいたら。もしこの時、同じ“好き”を持つ子が周りにいたら。もしかしたら私は今でも有岡くん一筋だったかもしれない。

タラレバを言っても仕方ないし、全部全部自分の選択なんですけどね。(後悔もしていないし)







私はこういった体験で「“好き”という感情は美しくて、自分の中で想うだけでいい」なんていうきれい事が本当にきれい事であると実感しました。






確かに“好き”は美しいものかもしれない。
でも、それを他人に否定されると「自分がおかしいのかもしれない」と思ったり、自信が無くなったりしてしまうものです。











好きになるのは簡単。でも、好きでい続けるのは難しい。


自分の中で想うだけでは誰にも伝わらないし、自然と押し殺してしまう。
相手がアイドルならば尚更。向こうはこちらの存在すら知らない訳で、どれだけ好きでも何も伝わらない。
アイドル側の彼らは、私がファンになろうが私の存在を知らないし、私がファンをやめようが何も知らない。


所詮、私たちは消費者で彼らは被消費者。悲しいけれど。





こんなにも一方通行なのに、どうしてアイドルを好きになってしまうのか、よく考える。


正解なんて分からないけど、今の私がこの質問に答えるならば、
「彼らがキラキラしているから」


ありきたりな答えかもしれないけど、
「キラキラしているから」惹き付けられるし、
「キラキラしているから」応援したくなる。
裏でどれだけ辛い思いをしているかは分からない。どれだけのプレッシャーと戦っているのかも分からない。でも、私たちの前では、
「キラキラしているから」同じ夢を見たいな、なんて思ってしまう。






長々と書いてきましたが、、、


最初の方で述べた【アイドルに対しての“好き”の条件】それは、

  • “好き”を好きなだけ叫べる場所があること
  • “好き”を否定せず肯定してくれる誰かがいること
  • 自分の“好き”に自信を持てる環境が身の回りにあること


これらの条件が欠ければ欠けるほど、いつか“好き”がしんどくなってしまう。そう思います。
全て個人の意見ですが。






最後に




“好き”は自分の中だけで完結するものではない。


発信してなんぼのもの。


「好き」という気持ちは各々にとって、素敵で宝物のようなもの。
少しでも、その宝物を大事に大事に誰にも傷つけられることなく育てられる人が増えたら良いなと思う。


そして、この“果てしなく一方通行の好き”が少しでも多く、向こう側の男前たちに届きますように。




おわり。